登場人物
#1 「家を建てよう!」
ナオはいつものようにトラックのハンドルを握り、いつものように荷物を運んでいた。
しかしいつもと違い少しだけスピードがあがっている。その行き先が受付のエリがいる得意先だからだ。
何度か荷物を届けるうちに、その笑顔と「いつもお疲れ様!」という言葉にナオはやられてしまっていた……
二人が付き合い、結婚することはごく自然な流れだった。
結婚すれば一番最初に出てくる問題は 愛のすみかをどうするか? である。
当然のごとく二人もその問題を話し合った。
ナオは独身時代ワンルームマンションで一人暮らしをしていたので、賃貸マンションという選択肢も特に違和感がなく、何となく普通にそうするものだと思っていた。
しかしエリは商売をしている実家暮らしのため、マンションという考えはなく、金銭的なことを考えても、毎月の家賃を支払うぐらいなら資産となる一戸建てを持ちたい、という想いがあった。
「それもそうやな…」とナオは頭の中で自分の給料を計算しながら弱弱しく返事をした。
「…よっしゃ、家建てよ!」
二人の 家物語 が始まった。
#2 「誰に頼む?」
ナオとエリは悩んでいた。
「家ってどうやって建てるん?」「何から始めたらええんやろ?」
「土地無いと建てれへんやん」「建売はいややしなあ」
「お金どれくらいかかるんやろ?」……
覚悟は決めたものの、二人からでてくる言葉は疑問符ばかり。
特別なこだわりがあるわけではないが、せっかく建てるなら自分達らしいオシャレな家に住みたいし普段の生活を楽しみたい。大きな借金をして家を購入するのだから余計に悩むところだ。
「誰か全部教えてくれる人いいひんかなあ…」 ナオはふと一人の男を思い出した。
「そや!設計やってるケンチクさんに相談してみよ」
「大丈夫なん?工務店とかの人と違うやろ。不動産屋さんでもないし… 高いんちゃうん」
「いっかい話聞いてみよ」
不安と期待をかかえながらも会う決心をした。
ナオは少し落ち着いたのか、片手にはキンキンに冷えたビールを握っていた。
#3 「とりあえず相談です」
ナオとエリは何を質問していいかさえもわからなかった。
「とりあえず相談です…」「どうしたら希望の家ができるのでしょうか?」
そんな感じで始まったが、何となくのせられて考えられる全ての悩みを打ち明けた。
二人には悪いが、ケンチクさんはそれらを全て聞き終えるころにはすでにワクワクしていた。
なぜなら二人の悩みはひとつづつ道筋をたてて進めていけば解消できるものばかりだし、近い将来二人の楽しそうな笑顔を容易に想像できたからだ。
予算の問題は、毎月返済可能な住宅ローンの金額や自己資金の額、将来の蓄えなどを考慮して、土地の費用・建築費用・諸経費などの配分をおおよそ予測した。
土地の問題は、希望の立地や広さはもちろんだが、それにかけられる費用とのバランスだ。
ナオはその当初、漠然と駅近である程度広くて…と希望していたが、その駅周辺は結構お高く手が出そうにない。
しかし、ケンチクさんの話を聞いているうちに、仕事柄、駅に近い必要がなく将来子供たちがノビノビ暮らせることの方が大事だと気付いた。
家のことにいたっては、間取りがどうとか、部屋が何室欲しいかとか、キッチンのメーカーはどこがいいとか……
ケンチクさんからそんな話は一切ない。
二人の趣味や、将来のこと、図々しくもふたりの馴初めまで聞いてくる始末だ。
(この人、ほんまに建築士?)
と二人同時に思いながらも、最初の不安はどこかに消え、なぜかワクワクしていた。
#4 「変な土地」
ナオとエリとケンチクさんは、ある郊外の山手で開発された住宅地の中にいた。
最初は想像もしていなかったところだが、閑静な住宅地で、近くに自然が広がる静かな場所だ。
「ここ、なんか気持ちええな」 ナオとエリの第一印象だ。
その中でも、少し価格が高いが道路が水平で建てやすそうな普通の土地を見ていた。
しかし、ケンチクさんのお勧めはそこではなく、30mほど離れた場所で、
価格は安いが道路に多少の傾斜がある一見使いにくそうな土地。
二人はまたまた思った。(たしかに安いけど、この人大丈夫かいな)
日当たりや風通しのこと、傾斜を利用したおおよその家の感じ、そして何より、遮るものがない、ほど近い山の借景を手に入れられることの説明を聞き、
一見変なその土地に、一気に気持ちが傾いたのである。
「安いし、何か期待できそうやし、ここが良いかもな!」
#5 「家づくり始まる」
ナオは三度の飯よりお酒が好きだ。決してアル中ではないが、せっかくなら休みの日には気軽に屋外でお酒を飲みたいと思っている。
叶うとは思わないが、最近始めたゴルフの練習や体を鍛える場所なんかもあれば最高だろうなあ、と想像を膨らましていた。
エリは子供のいる生活を想像していた。ナオや子供の顔を見ながら料理ができればどんなに楽しいだろう。パソコンが使えるコーナーもあったらいいなあ。
片付けは得意じゃないから収納は多い方がいいし、毎日の洗濯も楽にできたらなあ。
希望はそれぞれ違うが、これだけは同じだ。
『明るくて、家族が皆楽しめる家』
二人ともケンチクさんには想いを伝えたつもりだが……
そんな時、リンリン!と電話がなった。
心なしか楽しそうな音に聞こえる。
「プランができましたよ!」
ケンチクさんからだ。
ナオとエリは期待で胸がいっぱいで
一刻もはやくプランとやらを見たくなった。
#6 「スキップフロア」
「なんじゃこりゃ~!」
ナオとエリは、どう表現していいかわからなかった。
何となく頭の中で間取りを想像していたが、自分達が想像していたものを超えるプランが出てきたからだ。
一番びっくりだったのが、半地下の部屋があり、それぞれのエリアにほどよく段差がついていることだ。
これは専門用語で『スキップフロア』というらしい。
半地下の部屋は、ナオの趣味部屋を想定していて、
ダイニングキッチンとリビングが段差により緩やかに区切られている。
そしてその段差を利用して収納とパソコン机がついているのだ。
また、土地の傾斜をそのまま利用することで施工費も抑えられるとの説明を受けた。
「こっ、これはええな!!」
二人はケンチクさんがこの一見変な土地を勧めた理由がわかった。
そして二人のワクワクが止まらなかった。『帰ってビール飲も!』
#7 「楽々家事」
料理・洗濯・掃除など、主婦の毎日の仕事は大忙しだ。
給料に換算すると30万円はくだらない金額だという。
エリは料理が嫌いではないが、できれば毎日の家事は楽な方がいいと思っている。
キッチンから洗面所への短い動線、物干しと寝室への動線、
洗濯する~干す~たたむ~しまう 一連の流れを考えた間取りに納得した。
ダイニングとリビングが見渡せるキッチンにも満足だ。
それだけでなく、キッチンから山の景色が見えるのはとても気持ちよさそうだった。
エリにはひとつだけ強い希望があった。
「ミーレの食洗器を入れたい!」
ミーレとはドイツのメーカーで食洗機は日本でも有名だ。
ケンチクさんはそれを叶えるためよく聞く住宅設備メーカーではなく
オーダーキッチンを提案した。
キッチン廻りの収納も満足だし、楽(らく)で楽しい家事になりそうだと
エリはワクワクしたが、ナオがこのあたりの話に興味を示さないことは少し不満だった。
#8 「最高のリビング」
家事のしやすさはよそに、ナオはリビングのことを考えていた。
『明るくて気持ちいいだろうか?』
『うまいお酒が飲めるだろうか?』
スキップフロアを利用した吹抜けの解放感と、吹抜けの高窓から降り注ぐ光をイメージできた時、
ナオの心配は全くなくなった。
そして、リビングから繋がるベンチ付きの屋外デッキと、デッキから眺める景色を想像し、
いや、美味い肉と美味いビールを想像し、にやけた。
ニヤニヤと嬉しそうにしているナオを見ているうちに
エリの小さな不満は消えていた。
そして思った。『子供欲しいなあ…』
#9 「コウノトリ」
「子供ができました!」 出産予定日は家が完成してしばらくらしい。
その連絡を聞いた時、ケンチクさんは心から喜んだ。
そしてこうも思った。『やっぱり僕はコウノトリ』
今までも何度かあった。家づくりの最中に子供ができることが結構多いのだ。
自分達の家ができる安心感や、家づくりで夫婦が楽しい毎日を過ごしている証拠だとつくづく思う。
家づくりも子づくりも夫婦の愛の証なのである。
プランの時に考えていた2階の部屋の工夫が
思ったより早く活躍しそうだ。
その名も【移動する収納壁】
将来の生活の変化にそって、収納壁を移動することで部屋の広さを変えられる。
それだけではなく、だんだんと荷物も増えることを想定し、屋根勾配を利用したロフトも設けている。
リンが誕生し、その後カナが誕生した。
今は4人で仲良く一緒に寝ている。
#10 「心地よさ」
人間の感覚は曖昧なようで意外とするどい。
何となく本物は本物と感じるし、何となく心地よさを感じている。
理屈では説明ができないが、誰にでも好きな場所があるものだ。
特に子供は大人以上に感覚がするどく、
本物に接すれば接するほど感性が豊かになる。
いつも接している床は【北欧パインの無垢材】でプリントではない一枚の木。
ところどころに見えている柱や梁も
リンやカナの感性を刺激してくれる。
リンはお絵かきが上手で、カナは運動神経が抜群だ!
そしてナオはやはり酒が好きだ!
#11 「これから・・・」
1年ほど前に3人で話をしていた時にナオが言っていたことを思い出した。
「サーフボードをどっかに飾りたいなあ」
そう、ナオの楽しみは決して酒だけではない。
体を動かすことが好きな健全な男子だ。
こうも言っていた。
「でも子供できたらサーフィンするかなあ…」
その通りになった。2階の廊下の一角に設けたサーフボードのスペースは、今ではリンとカナのスタディーコーナーと変化している。
このデスクとイスは、ナオの力作だ。
「これええやろー、ようできてるやろー」
ナオの言葉にケンチクさんは素直にうなずいたが、本棚があったらもっといいのにとも思った。しかし、ナオなら簡単に造ることだろう。
そして、これからも末永く幸せに暮らしていくことを確信した。
自慢げなナオと、横で微笑んでいるエリ、そこらで走り回るリンとカナをみて
ケンチクさんはまた幸せになった。 end